日寛上人は享保11年2月
「私は臨終の際にそばを食べ、大笑して題目を唱えて死ぬことにしよう。この通りになったら、私の説いたことを一文一句も疑ってはならない」
そう宣言されました。
それから半年後の8月、自らの死期を悟られた上人は、病床から起きて駕籠に乗り、新法主や信徒らに別れを告げて回ります。
戻ると大工に葬式の支度をさせ、棺桶のふたには自ら一首をしたためたといいます。
翌日の夜には予告通りにそばを7箸召し上がり、にっこり笑いながら「ああ面白や、寂光の都は」と述べられます。
上人の目には、久遠元初の霊山の姿が映っていたのでしょう。
御本尊に向かって合掌し、床に就くと、翌朝、半眼半口で眠るように息を引き取られたのです。62歳でした。