法華経の修行に励む以上、死魔が出現することは避けられません。
もちろん、油断から寿命を縮めるのはただの犬死です。用心を重ねることは当然です。
そのうえで、広布のリーダーには、いつ倒れてもおかしくないという心構えが必要です。
なぜなら、
本気で自分の死を意識しない限り、本気で後継を育成しようとは思わないからです。
死に向き合うことこそ、凡夫が仏になるための、最も重要な心構えです。
池田先生が、世界中にこれほど多くの弟子を育てられたのは、いつご自身が倒れてもおかしくない病弱なお体だったからです。
会長就任直後から、全力で青年の育成に取り組まれています。
先生が病弱な身でこの世に生を受けたことは、まさに使命だったということです。
戸田先生も、獄中生活で全身これ病のデパートというお体でした。事実、出獄から10余年で亡くなられています。
いつ倒れてもおかしくないからこそ、青年の訓練に全てを注いだのです。
牧口先生も、入信した時点で57歳であり、当時としては高齢です。
残されている時間が短いからこそ、全力で折伏を進め、弟子を育てられたのです。
今からおよそ700年前、31歳の青年僧が、全人類を救うため、法難を覚悟で立宗を宣言しました。
1人の青年が命を捨てるとき、新たな時代が始まります。
それが歴史の方程式なのです。