法華経の信心で経済革命できることは、草創以来無数の学会員が体験してきました。
その理由のひとつとして、自然に少欲知足の生命が確立されることが挙げられます。
無駄遣いしなくなって、自然にお金が貯まるのです。
勤行すると、生命が日蓮大聖人と一致してきます。
大聖人は少欲知足の聖僧ですから、祈っているうちに、お酒もタバコもギャンブルもブランド品も興味がなくなり、わずかな小遣いで十分人生に満足できるようになっていくのです。
遊ぶより働くほうが楽しくなります。
すると、お金がどんどん貯まるので、結果的には、個人会館を建てたり、毎年のように海外旅行に行けるような境涯になるのです。
ただし、ここで注意が必要なのは、初信の人に最初から少欲知足を押し付けないことです。
戒律で縛るのは、小乗経です。
それでは、煩悩が深い末法の衆生を救うことはできません。
最初は「毎晩銀座で豪遊したい」という祈りでもいいのです。また、一度はそれが叶う場合もあります。
しかし、信心が深まると、生命が健全になるので、自然に本人がそれを望まなくなります。
早く帰宅して、娘に絵本を読んであげるのが一番幸せという気持ちになっていくのです。