仏教では、生老病死の苦しみを離れることを目的としています。
しかし、老い・病・死が苦しみであることは理解できても、なぜ生きることまでが苦しみに含まれるのか、疑問に思われる方も多いでしょう。
人は、若く健康だからと言って、必ずしも幸福だとは限りません。
現代人にとって代表的な生の苦しみは
「お金が足りない」
「好きな仕事に就けない」
「愛する人と結婚できない」
などでしょう。
お金の悩みは、生きている限り一瞬の暇もなく付きまといます。
特に借金があると、あなたの人生は借金の返済を中心に回ることになります。
自分の好きな仕事をしている人も、ごくわずかでしょう。
現代は封建時代と違い、職業を自分で選ぶことができます。しかしそれは必ずしも「好きな仕事ができる」ことを意味していません。
結婚も同じです。現代は親同士が決めた許嫁と無理やり結婚させられることはありません。自分で相手を選べます。しかしそれは決して「好きな相手と結婚できる」ことを意味していません。
多くの借金を抱え、好きでもない仕事に一生を費やし、好きでもない伴侶と添い遂げる・・・人生は、苦悩に満ちているのです。
宗派によって、生老病死の苦しみから逃れるための教えは異なりますが、そのほとんどは誤りです。
念仏では、死後に極楽往生することを目的としていますが、これは現実逃避に過ぎず、何の解決にもなっていません。
禅でも、悟りを開く(心の持ちようを変える)ことを目的としますが、現実が変わるわけではなく、内面への引きこもりに過ぎません。
それに対して日蓮仏法は、現実に真っ向から立ち向かい、変革します。お題目の力で借金は減ってお金が貯まり、好きな仕事をして、好きな相手と結婚する人生を送ることができます。
確かに、悩みが完全に消えるわけではありません。しかし、借金地獄で首を吊ろうと思い詰めていた人が、信心を貫くことで、相続税対策に頭を悩ませる境涯になるのです。同じお金の悩みでも、ぜいたくで軽い悩みになります。
老いは遅くなり、病は軽くなり、死は先延ばしされます。
もちろんその境涯は来世も変わらず続きます。
特に末法の今日では、唯一日蓮大聖人の教えのみが、全ての苦を滅する力を持っているのです。