罰と宿業は、同じものです。宿業の軽いものを罰と呼んでいるだけです。
「罰が出る宿業を持って生まれてきた」と考えてもいいでしょう。
従って、誰でも必ず罰は出ます。
ただし、軽く出るか重く出るかは、その人の信心によります。
南無妙法蓮華経を唱えると、業は軽く早めに出ます。これが転重軽受です。
本当は5年後に胃がんで死ぬ宿命だった人が、胃潰瘍で一週間入院するだけで済むのです。
ただし、信心が浅いと、同じような業が繰り返し出ることになります。
退転すれば、業は後でまとめて重く出ます。
大地震ほど沈黙の周期が長いのといっしょです。
しばらくは何事も無いかに見えるから恐ろしいのです。
事故死が
転重軽受といわれても信じられないかもしれませんが、その人は全身にがんが転移して、何年も苦しみもがいて死ぬ宿業だったかもしれません。
あるいは、認知症で何年も寝たきりになる宿業かもしれません。
しかし事故死の場合、苦痛は一瞬です。
一瞬の苦痛を以て、一生分の苦痛に替えたのだから、これは転重軽受そのものなのです。
※自殺の場合、宿業は消えません