創価学会の池田大作会長(当時)が、いわゆる宗門問題を終息させるため、日達法主に法華講総講頭の辞任を申し出ると、日達は池田のこれまでの功績を讃えるため「名誉総講頭」の辞令を与えました。
当時、すでに宗内の反学会勢力は、法主をもってしても抑えきれないまでに増長していました。
日達としては、池田の辞任を受け入れるよりほかに、収束の道がありませんでした。
しかしながら、広宣流布を実際に進めてきたのが創価学会であることは、日達自身が一番よくわかっています。
池田の辞任が、断じて不名誉な理由でないことを歴史に残すため、あえて名誉総講頭の称号を与えたのです。
池田辞任後は宗務院から学会批判を固く禁じる通達が出されましたが、その後も若手層の学会攻撃が続きました。
日達は、このような僧を直々に叱責することもありました。僧俗和合への尽力は、77歳で息を引き取る瞬間まで続けられたのです。
日達こそが、まさに日蓮正宗「最後の法主」だったといえるでしょう。
今の日顕宗は、創価学会を否定していますが、これは最後まで学会を守ろうとした日達の姿勢とは正反対です。
学会を否定するならば、まず日達を除歴し、日達本尊を全て回収焼却しなければ、道理に合わないでしょう。
学会は今でも日達への恩を忘れず、その御本尊を大切に御安置しています。
今日、日蓮正宗は創価学会の中にしか存在しないのです。