池田会長講演集第1巻より
先日から一般の新聞などに葬式の合理化運動の記事が出ています。
坊さんを呼ばないとか、死亡通知だけでよい、というような考えです。
私は大賛成です。
事の一念三千の当体である我々です。死んで誰にお経を読んでもらう必要がありますか。
葬式に必ずしも御僧侶を呼ぶ必要はないのです。
総本山も「日蓮大聖人の根本精神につながった考えです」と言っておりました。
すでに半世紀も前に、こうした指導が公にされていたことは、当時の創価学会、そして池田会長がいかに斬新かつ先鋭的、先進的な存在であったかを端的に物語っています。
それを包容する懐の深さも、宗門にはまだ残っていました。
宗門などは論外ですが、今の「老いぼれ創価学会」を、真の学会だと思ったら大間違いです。こんなもんじゃありません。
学会にしても公明党にしても、青年たちから世代交代の声があがらないのはいかにも寂しく、残念な限りです。
少なくとも折伏でちゃんと結果を出していれば、どんな大先輩でも、君の声に耳を傾けざるをえないはずです。それが信心の世界です。
古い幹部を一掃し、学会を一新するのは、君たち青年の使命であり、また権利なのです。