富士日興上人詳伝より
僧俗と両様に区別することは、古今を通しての世界悉檀にしばらく準するものであって、あるいはかならずしも適格の区分でもなかろう
このように堀上人は、僧俗の区別は世相に応じた一時の方便に過ぎないという考えをお持ちでした。
御在世当時においても、四条金吾や南条時光など、在家が中心となって弘教を進めてきた歴史があります。
すなわち仏法を弘めるうえで、出家制度・僧侶の身分というものは、必ずしも不可欠ではないのです。
特に日本の仏教界では、妻帯肉食という最低限の戒すら守られておらず、僧俗の差別は形骸化しています。
出家制度はほぼその役割を終えたと考えるべきでしょう。
21世紀は、在家が法を弘める時代なのです。