学会が、大石寺にある御本尊を「受持の対象としない」と会則変更したことについて、案の定、宗門が騒ぎ立てています。
もともと学会と宗門は絶縁状態であり、大石寺の御本尊を受持する術もありませんから、今さらの話なのですが、惑わされる会員が出ないとも限らないので、教学上の意味を改めて明確にしておきます。
もともと三大秘法とは、本尊・戒壇・題目を指します。
具体的には、御本尊を「受持」し、「御安置」し、「お題目」を挙げることが、末法における法華経の修行となります。
ここで大切なのは、御本尊をいただくだけでなく、御安置が必要なことです。
御本尊を床に敷いてお題目を挙げる人はいないでしょう笑
しかるべき清浄な場所に、御本尊を御安置奉ることは、お題目と同じように大切な修行なのです。
いまや魔の巣窟となった大石寺は、とても御本尊を御安置するにふさわしい地ではありません。
そこにある御本尊を信仰の対象とするのは、日顕の建てた奉安堂を戒壇として容認することであり、天魔に妥協することになります。
大石寺・奉安堂に戒壇の資格が無い以上、そこに三大秘法は成立せず、いくら御本尊を御安置しようと、お題目を挙げようと、功徳は無いのです。
法華講はそんなことより、奉安堂が学会寄進の土地に建てられていることを問題にしたほうがいいでしょう。
奉安堂に限らず、今の大石寺の敷地の大半は、池田3代会長の時代に、学会が寄進したものです。
戦後の農地解放によって、大石寺は5万坪の敷地しか確保できませんでした。
それを127万坪にまで広げたのは、紛れもなく学会の供養によってです。
天魔・池田大作が寄進した土地に御本尊を御安置して、せっせと登山していたら、法華講は全員地獄に堕ちるんじゃないんですか?
あなたが池田大作を天魔だと信じるなら、絶対に大石寺に登山してはいけませんよ笑