池田大作全集73 388頁より
会長たりとも、各部長たりとも、折伏業に精進する者に出会わば、大聖人より「善哉、善哉」とおほめにあずかっている御仏として、立って、これをお迎えしなくてはならない
潮6月号には、弘教に生涯を捧げた1人の女性が紹介されています。
昭和2年に生まれた上野ヒロ子さんは、戦時中は看護婦として働き、戦後は結婚して養護教諭となります。
夫の戦友から折伏され、30歳の時に夫婦で法華経に帰依します。
「毎年1本の研究論文を書く」と決意し、その量は大学ノート27冊に達しました。様々な研究で何度も賞を受けました。
その姿は、小学校長を務めながら「創価教育学」をまとめ上げた牧口先生に通じるものがあります。
生涯に弘教した人数は、198人にもなります。
現在の学会があるのも、こうした先駆者があればこそであることを、青年たちは永遠に忘れてはいけません。
青年たちが目標とすべきなのは、会合屋や選挙屋ではなく、どこまでも「折伏の闘士」なのです。