四条金吾は大聖人満31歳の立宗宣言からまもなく入信しています。
正確な日時は不明ですが、大聖人が30代前半、金吾は20代半ばでした。
金吾は早くも鎌倉の法華信徒の中心者として活躍していきます。
この僧俗青年タッグが、史上最大の宗教革命を巻き起こしていくのです。
この僧俗和合の模範の姿は、後に日興上人と南条時光に受け継がれていきます。
現代における僧俗和合とは、学会員同士のスクラムです。
様々なタイプの人材が、それぞれを尊重して協力し合うところに、無限の妙力が生じます。
一切は青年の団結にかかっているのです。