湖城登美は1920年、那覇の大地主の家に生まれ、一族の神子(巫女)として育てられました。
様々な事業を手がけましたが、知人の保証人を引き受けたため、当時で22万ドルもの負債を抱えてしまいます。
息子の色弱にも悩み、45歳の時、先祖伝来の崇拝を捨てて日蓮大聖人に帰依します。まさに人間革命でした。
一族の神子がヤマトゥガミに入ってしまったので、周囲からは猛反対されましたが、90人近くに弘教し、コテージ経営で経済革命にも成功しました。
反戦出版「沖縄戦・母の祈り」にも、12頁に渡って手記を掲載しています。
組織では名護の婦人部長として長年貢献してきました。
折伏こそ学会の命です。青年たちは、このような本物の「開拓の闘士」をお手本にしなければならないでしょう。