新・人間革命「清新」より
1952年2月の蒲田支部での活動。その勝利の眼目は、まさに徹底した個人指導にあったのだ。
伸一は、最前線組織であった組単位の活動を推進するために、各組を回っては、メンバーの激励に徹した。
折伏の仕方がわからないという人には、自ら一緒に仏法対話した。
その戦いの帰結が、1支部で1か月に201世帯という当時としては未曽有の弘教を実らせたのだ。
人材を育てるために最も重要なのは「折伏・対話のお手本を見せる」ことです。
大きな会合で号令をかけるだけでは、青年は育ちません。
牧口先生は1人を折伏するために、3等車の堅い座席に何時間も揺られて、全国どこまでも自ら出かけていきました。
仏道修行とは、人を集めることではなく、自ら対話に歩くことなのです。