新・人間革命「波濤」より
いかに最高の法を保っていても、論破されてしまえば、正法正義とは言えません。
正義なればこそ、断じて勝たねばならない。
池田大作全集73 247頁より
大切な仏子を誹謗し、見下すような言動に対しては、断固として戦い、反撃していかねばならない。
悪を容認するようでは、法を下げることにもなりかねない。
透徹した論理で反論し、戦う力を持たなくてはならない。
草創期の学会は、その意味で、まことに明快であった。強靭であった(拍手)。いかなる論戦にあっても、徹底して戦い、言論戦で相手を論破してきた。
それが、時と共に広布の基盤がととのい、大きくなるにつれて、徐々に切り返す知恵と力を失い、いわば臆病になることを、私は深く危惧する。
池田大作全集74 292頁より
どんな話にも拍手してくれる組織のあたたかさに安住して、語ることは闘いであることを忘れてしまったら、もはや向上はない。
自身の敗北であるのみならず、広布の失速をもたらす。
創価学会指導集1 110頁より
これからは言論戦の時代である。
言論戦のできる人は1000人の人に匹敵する。
指導者はよく話せ、よく書けなければならない。
新時代の幹部はよく読み、よく書き、そして雄弁であっていただきたい。
後輩に対して、いかなる難問題でもゆうゆうと処理し、一般社会にあっても、堂々と指導できる力を、さらにたくわえていかれることを切望する。
結局のところ、仏法は勝負です。
もし蓮祖が、生涯に一度でも法論に敗れていたなら、この仏法はとっくに滅んでいたでしょう。
三代会長もまた、あらゆる法論に敗れたことは一度もありません。
池田先生は世界のあらゆる識者と対話されましたが、それが可能だったのは、仮に法論になっても絶対に負けないという自信があったからこそです。
創価学会の歴代会長は、永遠に、法論の世界チャンピオンでなければなりません。
世界のいかなる思想家と対決しても敗れることなく、逆に納得させる力を持たねばなりません。
広宣流布とは、結局のところ、たった1人の「法論の世界チャンピオン」を育てられるかどうかで決まるのです。
池田先生が、まさにその1人です。
学会員が何億人に増えようとも、たった1人の外道・悪侶にことごとく論破されるようでは、何の意味もありません。
事実、学会との法論から逃げ回ってきた他宗の衰退は、誰の目にも明らかです。
言論戦こそが、宗教の盛衰を決定するのです。
折伏を続けていれば、他宗の論客と対決する時が必ず訪れます。その経験が無いとしたら、あなたにはまだ場数が足りていません。
こうなったら、もはや入決を取るか否かではなく、破折できるかどうかの勝負になります。
「その時のために」教学が必要なのです。
もし法論に敗れてしまえば、あなたはもうこの仏法を心から信じることができなくなってしまいます。信心が破られてしまうのです。
教学を軽視する者は、どんなに熱心でも、最後は不信となり、退転していきます。
言論戦には、絶対に負けてはいけません。
いつ法論になってもいいよう、世界のあらゆる思想宗教を研究し、常に精進を怠らないことです。
学会の教学は、どこまでも「闘魂の教学」なのです。
行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず
諸法実相抄
此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし
曾谷入道殿許御書