希望対話より
サッカーでも、ボールを自由自在に操れるようになるには、練習、練習、練習、です。
英語など外国語も、練習を重ねて、初めて「自由」に喋れるようになる。
つまり「能力」が、人間を自由にするのです。
苦しんで、知識や技術を身につけるほど、人間は自由になっていくということです。
日本の社会は、小さなことを、うるさく規制し過ぎだと思う。
だから、かえって「自由の厳しさ」も、分からない。
その結果、いつまでも自立できなくて、結局みんなが無責任になってしまう。
校則とかについても、私個人としては、あまりうるさく言うのは反対です。
人間は、信頼されず、規則で縛られると、反抗したくなるものだ。
信頼して任せると、案外、極端なことはしないものです。
自由というのは、そもそも、自分の行動の責任は自分でとるという「厳しい生き方」なのです。
黙って、それこそロボットのように、人の言いなりになっているほうが「楽」なのです。