池田大作全集68 52頁より
信心すれば全く病気をしないなどと仏法は説いていない。
その人の信心が弱いとか、謗法があるとか、短絡的に決めつけるのは誤りである。
これは信心の世界で、ともすれば陥りやすい点でもあるので一言申し上げておきたい。
池田大作全集77 440頁より
患者を疲れさせたり、治療の邪魔にならないようにする。
罰論などによって重苦しいプレッシャーを与えるような話はしない。
激励の仕方がかえって重圧となり、患者の心を暗く、重くするようなことがあってはならない。
「私たちも題目を送っていますから、安心して病気と闘ってください」
など、できるだけ心の負担を軽くして、あたたかくつつみこむ励ましが必要である。
私どもの励ましは「抜苦与楽」の実践であり、相手の心の苦悩を取り除き、楽しみ、希望を与えゆくための、あたたかき人間性の振る舞いでありたい。
新・女性抄83頁より
お見舞いに際しても、病気の方を「疲れさせないこと」これが大原則である。
来られること自体が、有難迷惑の場合もある。
学会幹部は「訓練バカ」ばかりなので笑、闘病中の同志に対しても、健康な時と同じ指導訓練を繰り返すパターンが多く見られます。
まず常識として、治療中の訪問や連絡は最低限とすべきです。
大勢の幹部が入れ替わり立ち代わり訪れて、そのたびに繰り返し症状を説明し、分かり切った指導を繰り返し聴かされるのは、患者にとってはむしろ治療の妨害です。
今は「訓練」すべき時ではありません。同志を鍛えるべき時と守るべき時をきちっと区別できなければ、幹部の資格はありません。
特に「しっかり祈りなさい」という指導は、患者をバカにしています。
病気の当事者が、真剣に祈っていないわけがありません。誰もが死に物狂いです。
健康なあなたには、とうてい想像もできない、切実な祈りです。
しっかり祈るべきは、幹部自身です。
幹部は医師ではないのですから、基本的に余計な口を出さず、治療を見守る姿勢が必要でしょう。