私の履歴書より
11年間、昼となく夜となく、それこそたたきこまれるようにして薫陶を受けた。
あと2、3年続いたら、私自身がまいってしまったかもしれない。
ある日などは、朝の4時頃、電話がかかってきて、すぐ来るようにということである。
タクシーに飛び乗って飛んで行ったものだ。
池田先生も生身の人間であり、無限に訓練に耐えられるわけではありません。
しかしながら、自らの寿命を悟られていた戸田先生には、後継者をじっくり育てる時間的な余裕もなく、過密スケジュールでの訓練を続けざるを得なかったのでしょう。
師弟ともに、命を削る訓練の日々だったのです。