新・人間革命「遠路」より
一切の法が、皆、仏法なんだから、歴史や政治を語っても、また、人生を語っても、仏法のものの見方、考え方に触れざるをえないものだよ。
仏法を、信心を、本当に自分の生き方の根底にし、そのことに誇りと確信を持っていれば、自然に仏法対話になっていくものだ。
そうならないのは、自分の心の中に、仏法に対して、垣根を設けているということだろうね。
仏法対話(折伏)とは、特別なものではありません。
われわれ法華信徒にとっては、自らの信念を語ることが、そのまま折伏になります。
そうならないとしたら、本当に法華経を信じているとは言えません。
結局は自らの信心の深さが大切なのです。