新・人間革命「波濤」より
「最初に、絶対に音楽家になると決めて、挑戦する場合もあるが、あなたは、今、決めなくてもいいでしょう」
伸一の指導は、決して一様ではなかった。
特に人生の問題については、根本的なところは一緒でも、具体的な事柄については、人それぞれに、指導は異なっていた。
臨機応変に、その人に最も適した方向を考え、挑戦への勇気と希望を送るために、常に全生命を注いだのである。
新・人間革命「民衆城」より
家庭不和で悩んでいる人に、病気を克服することができると訴えても、関心は示さない。
病気の人に商売がうまくいくと訴えても、共感はしません。
相手が納得できるように、いかに語るかーこれも智慧なんです。
創価学会指導集1 97頁より
問題があれば、親切に「指導」して、本人が行き詰まらないようにしてあげる。
また戦って疲れてきた場合には「擁護」してあげる。
よく分からぬ人には、学会精神を教え「訓練」をしてあげる。
教学で分からない問題があれば「教授」してあげる。
擁護すべき状態にあるのに訓練したならば退転させてしまう場合がある。
教えればわかるのに、擁護して甘やかしてしまっては信心が伸びなくなってしまう。
これは「為人悉檀」についての御指導です。
個人指導の内容は、それぞれに違うのが当たり前です。
初信の人に指導する時、仏法用語を羅列するのでは、意味が伝わりません。
逆に、ベテランで教学に精通した人に対しては、きちんと仏法用語を使わないと、むしろ勉強不足の印象を与えてしまうでしょう。
御書を紐解けば、個人指導の多様性に驚かされます。相手によっては、正反対の指導をされている場合もあります。
全員に画一的な「演説」を繰り返すのでは、個人指導の意味がありません。
しかし、学会幹部の9割は演説になってしまっています。一方的に話し続けるだけで、「対話」ができていません。
個人指導の第一歩は「傾聴」です。まず、その人がどんな問題を抱えているか把握しなければ、指導しようが無いはずです。
本物の指導は、演説より何十倍も難しいものです。
仏法だけでなく、多様な人生経験を持った幹部が、全身全霊を込めて悩み、指導する必要があります。
だからこそ修行になるし、その幹部の実力がハッキリ現れるのです。