戸田先生が、常に病魔と闘われていたことは、あまり注目されていません。
先生は若き日に肺結核にかかり、生涯その機能を完全に回復することはありませんでした。
なお、最初の妻と娘も結核で亡くしています。
さらに、投獄されて慢性的な栄養失調に身体を蝕まれます。
何しろ日本中が食糧不足の時代ですから、牢獄で与えられた食事がどれほど粗末なものであったかは、我々の想像を絶します。
20貫を優に超えていた体重は、出獄時には12貫(45㎏)を割っていて、ほぼ半分に痩せ細っていました。
もちろん健康状態は最悪でした。
喘息、心臓病、リューマチ、痔ろう、慢性下痢と、戸田先生の身体は、まさに病魔の巣と化していたのです。
さらには糖尿病も発症していました。極度の近眼で、片目は失明寸前だったといいますが、おそらく糖尿の悪化によるものだと考えられます。
分かりやすく言うならば、
いつ死んでもおかしくないお体だったわけです。
そのうえ、師の牧口先生は牢獄で栄養失調により死亡、すなわち「餓死」においこまれます。
さらには投獄によって事業は壊滅し、今の価値にして数億の負債を抱えていました。
相次ぐショックで戸田先生がそのまま倒れても、誰も不思議に思わなかったでしょう。
晩年には肝硬変にも侵されました。
第六天の魔王が、広布のリーダーに加える攻撃は、これほどまでに執拗苛烈を極めるのです。
戸田先生の肉体を支えていたのは「師の仇を討つ!」ただその一念でした。
そして、屍に等しい肉体を鞭打ち、事業を、学会を再建し、弟子を育て、75万世帯の満願を達成したのです。
戸田先生は58歳で亡くなられたわけですが、これは決して早死にではなく、本来は獄中で尽きていたはずの寿命を、使命のために強引に延ばされていたのです。
後世の弟子たちのために、自ら更賜寿命のお手本を示されたのです。