昭和26年12月25日「折伏活動に価値的行動を望む」より
折伏に当たっては、その相手が何を悩み、何を願っているかを、よく見極めなくてはならない。
病気で苦しむ人に、御本尊様が金持ちにしてくださると説いても、仕方ない。
貧乏人に、子供が生まれるといっても、話は通じまい。
理論を知りたいと願っている人に、功徳や罰の話ばかりしても、どうにもなるものではない。
相手を見極めて折伏することは、絶対に必要である。これは時間を価値的に用いることである。
分かりやすく時間を使わず折伏することも価値的であるから、絶えず行学を励まなくてはならない。しかし理論によって折伏することは、折伏の全体ではない。
いち早く御本尊をいただかせて拝むことで、御威光に触れさせることは、もっとも価値的な場合が多いから、この点もよく考慮すべきであろう。