広宣流布と立正安国は、共に末法の法華信徒にとって究極の目標です。
広宣流布は、ともかく法華信徒の絶対数を増やすことです。
一般に人口の3分の1を法華経に帰依させ、もう3分の1に法華経を理解させるのが、広宣流布とされています。
全人口を帰依させなくてもいいのです。
実際的に考えても、やみくもに新入会員を増やせば、かえって組織が利用され、破壊されてしまいます。
簡単に入信できないくらいで、ちょうどいいのです。
大聖人の時代もそうでした。特に御本尊は全て御真筆ですから、信心強情な弟子しかいただけないものだったのです。
立正安国は、国主(権力者)を法華経に帰依させることです。
現代であれば政治家、特に総理大臣を帰依させることになります。天皇は象徴に過ぎませんから、今日では天皇を入信させても立正安国とはなりません。
実際的に考えると、公明党から総理大臣を輩出することが、一応の立正安国の実現となります。
ただし、今のような連立政権では、たとえ総理を立てても、公明党の意向を全て通すことは困難でしょう。
最終的には、国会議員の過半数を法華経に帰依させることが必要です。
そのためにはやはり、有権者の多くが法華経に帰依し、また理解者とならなくてはいけません。
広宣流布が立正安国の基盤となるのです。
また、広義の立正安国は、政界に限らず、あらゆる分野の指導者が法華経に帰依することを指します。
これには、指導者を直接折伏する方法と、法華信徒の中から指導者を送り出す方法があります。
学会は前者はもちろん、後者の方法にも力を入れてきました。次世代のリーダー育成に全力を注いできました。
青年部が実社会で成功・勝利することが、立正安国なのです。
「宮仕えを法華経と思召せ」の御文は、単に仕事を真面目にやれという意味ではありません。
これは要するに「職場でも高い地位に就きなさい」という激励なのです。
青年部員たるもの、いつまでもフリーターのままでいたり、貯金より借金が多いようではいけません笑
四条金吾は法難を乗り越え、3倍の領地を賜りました。
組織の役職が上がっても、社会での立場がそのままでは、信心がどこか間違っています。
そんな青年部は烏合の衆です。
これは私生活についても当てはまります。
戸田先生は華陽会において、結婚を捨てて活動に励むある女性幹部について「皆さんのお手本にはならない」と語っていたそうです。
学会員は在家信徒ですから、恋愛や結婚を捨てる理由はありません。
恋愛においても勝つのが創価の青年部です。
女子部員であれば、周囲がうらやむようなイケメンをつかまえるのが信心です笑
そうでなくては、後輩だってついてきませんし、折伏しても説得力がありません。
「この人のように幸せになりたい」
そう思わせることが、最高の折伏なのです。