池田会長講演集第3巻より
信心のことは、大聖人のお使いであると自覚して、真剣に遂行していってほしい。
幹部のためにするのではないのです。
他人が認めようが認めまいが、真剣に地道に頑張っていくことが大切なのであります。
若き日の日記1959/9/8より
金言恐れて、人語恐るべからず。
人間は社会的な動物なので、仲間から褒められると脳内でドーパミンが放出され、快感を得られるようになっています。
これが、いわゆる団結力の源なのですが、あくまで「天界」の喜びに過ぎないことを忘れてはいけません。いわば、ニセの功徳です。
「中心者に褒められる」ことが信心の根本になってしまったら、それはもはや派閥主義です。
学会活動ではなく「派閥活動」です。
戸田先生は、滅多に池田青年を褒めなかったと言います。これは、間違っても「褒められたい」という幼稚な生命を植え付けないためだったのでしょう。
同様に、幹部に叱られることを恐れるのも、成仏の軌道から外れています。それを保身というのです。
幹部に褒められても叱られても、成仏とは何の関係もありません。
第一、全ての幹部に褒められることなど不可能です。むしろ、正しい信心であれば、ニセ幹部からは憎まれているはずです。
あなたを憎む幹部がひとりもいないとすれば、悪と対決していない証であり、あなたは成仏できません。
仏法の原理上、仏と魔は対を為しており、あなたが仏であるなら、組織の内外問わず魔が競い起こるはずだからです。
褒められたいというのなら、大聖人ただおひとりにお褒めいただければ、それだけで十分です。
間違っても、人に褒められることを目指して信心してはいけません。それこそを名聞名利というのです。