仏道修行をスポーツに例えると、日々の勤行は筋トレやストレッチなどの基礎体力作りに当たると言えます。
教学は技術練習です。
そして折伏は実戦、試合に相当します。全てが必要なのです。
いくら基礎体力があっても、実戦経験が無ければ、真の実力はつきません。
ゴルフでいったら、打ちっぱなしに通っているだけで、ホールに出ないようなものです。
それはゴルファーとは言えません笑
また、過去にどんな実績のある選手でも、何年も試合から遠ざかっていれば、やはり同様です。
現役の一流選手のうちに入りません。
今までどれほど折伏を決めていても、決して「引退」してはいけないのは、そのためです。
自分自身の人間革命も止まってしまうし、指導も時代遅れになってしまいます。
スポーツと違い、信心に引退はありません。指示を出すだけの専業コーチなどありえないし、いりません。
信心の世界に必要なのは、現役で折伏のお手本を示せるコーチだけなのです。
牧口先生も、獄中で死の寸前まで看守を折伏されています。
折伏が決まらなくなったら、力のある後輩の下について指導を受け直しましょう。