先輩幹部の指導が根本ならば、御書や師匠はいりません。
先輩に指導された通りに信心するというのは、素直なようでいて、実は間違いです。
先輩とて凡夫であり、完璧には程遠い存在です。
先輩や幹部によって、考えはそれぞれ違いますから、いちいち鵜呑みにしていたら、何が正しいか判断できなくなってしまいます。
だから教学が必要なのです。
我々が南無しているのは、南無妙法蓮華経という宇宙の根本法であって、特定の個人ではありません。
幹部は断じてメンバーを自分につけようとしてはいけません。それは派閥形成であり、天魔の働きです。
五老僧や日顕宗と同じ轍を踏むことになってしまいます。
自分ではなく「御本尊につける」「御書につける」「大聖人につける」ことが、幹部の役割なのです。
「組織につける」という意識にも、注意が必要です。
たとえば男子部であれば、男子部についていても、学会についているという意識が希薄なメンバーが多すぎます。
部活には欠かさず参加しても、地区の協議会や座談会はおろそかにするパターンです。
これでは、かえって破和合僧です。
さらに言うならば、学会員だけでなく、三千大千世界の仏は、全てあなたの同志です。
組織につけるという祈りは、まだ小さいのです。
戸田先生は「戸田の命より大事な学会の組織」と言われましたが、当然ながら御本尊と御書はもっと大切です。
御書を拝さず、組織の指導のみを根本とするならば、もはや動物的な集団崇拝であり、全体主義です。
あなたは成仏するために信心しているはずです。組織や先輩幹部に褒めてもらうために活動しているのではありません。
大聖人から褒められるように信心してください。
御書や人間革命を研鑽していれば、このブログも特に読む必要はないのです。