池田先生は海外では食べ物の違いなどから体調を崩してしまうため、昭和39年から、奥様が必ず同行されるようになりました。
当時、先生はパン食がダメだったので、米食を手に入れる必要がありますが、海外では容易ではないので、奥様が日本から持参しました。
ホテルに到着すると、バスルームで持参したボンベを使って、ご飯を炊かれたそうです。ちょっとしたキャンプです笑
その他、先生の体質に合わない薬について医師にアドバイスするなど、奥様は先生の体調には万全の注意を払われたのです。
奥様の慈愛に守られていたからこそ、先生も全力で闘い抜くことができ、日蓮仏法がこうして世界に広まったのです。