三大秘法といっても、天から降ってきたわけではありません。
人本尊あっての法本尊であり、三大秘法です。
法本尊だけで良いのなら、御本尊の中央には、お題目だけで十分なはずです。
あるいは
「南無妙法蓮華経 日顕」
でも
「南無妙法蓮華経 池田大作」
でもかまわないはずです。
断じてそんなことはありません。
御本尊は大聖人の魂そのものですから
「南無妙法蓮華経 日蓮」
以外にありえないのです。
歴代の法主も、学会の会長も
三大秘法を、そのまま清純に伝えていく役割に過ぎません。
いわば
「迹師」です。
先生奥様に感謝するのはもちろん構わないのですが、そのために大聖人という末法の
「本師」をおろそかにするのでは、本末転倒です。
どういうわけか偉い幹部ほど、その傾向があります。
いまだに池田本仏論を信じていたりします。先生ご自身が明白に否定されているにもかかわらず。
大聖人はあなたのために
「どんな罪業も消してやろう。どんな祈りも叶えてやろう。必ず仏にしてやろう」
その思いをこめて、御本尊を残してくださいました。
この御恩に感謝感激すること自体が、ただちに仏界の境涯なのです。
師匠への感謝こそ、仏に至る唯一の道です。
人本尊への報恩感謝を忘れて、どんなに修行しても、仏界は顕れず、功徳はありません。