大聖人は「法華経の行者の祈りは必ず実現する」と仰せです。
末法における法華経の行とは、言うまでも無くお題目を挙げることです。
ただ入会しているだけとか、受け身で会合に出ているだけでは、真の功徳はありません笑
いくら役職が高くても、勤行をサボっていたらダメです。
その上で「功徳は信力による」とも仰せです。
いくら祈っても叶わないのは、あなたの中に、お題目に対する不信があるからです。
お題目の妙力は、本来、無限大です。
しかし、あなたが1割くらいしか信じていなければ、やはり祈ったうち1割くらいしか叶わないのです。
比例区で1000万票が出ないのも、
「いくらお題目でも、そこまでの力は無いだろう」と、みんなで祈っているからそうなるのです。
みんな7割くらいしかお題目を信じていないわけです笑
大聖人は、竜の口で斬首が中止された後、佐渡に流罪となります。
当時、佐渡から生きて帰った罪人は皆無といわれ、これは事実上の死刑宣告でした。
いわば、時の権力から2度の死刑宣告を受けながらも、結局は役人たちを従えて悠々と鎌倉に戻られたのです。
法華経の行者に不可能は無いという証明を、大聖人は自ら示されたのです。
その大聖人が、自らの魂として遺されたのが、三大秘法であり、このお題目です。
不可能などあるわけがありません。
あなたの人生にも様々な悩みがあるでしょうが、死刑宣告に比べたら小さな話でしょう笑
御本仏から見れば、とるに足らぬ小さな悩みです。
「法華経の行者の祈りの叶わざるはなし」という御金言を、愚直に信じてお題目を唱えることが、
祈りを叶える要諦なのです。