池田先生が学会本部入りされたのは、戸田先生の逝去わずか1か月前の昭和33年3月1日です。
それまでは、戸田先生の経営する商事会社に勤務されていました。
生涯、師を陰から支えぬくことが、池田青年の念願だったのです。
すなわち
「2月闘争」「大阪の戦い」「大阪事件」など、人間革命に記された山本伸一の戦いは、全て本業を全うしながらの、限られた時間の中での戦いだったのです。
十分に活動の時間が取れないのは、誰でも同じです。それを、結果が出ない理由にするのは間違いです。
時間があれば折伏が進むものでもありません。
時間が限られていればいるほど、祈りによって大聖人から智慧を授かり、価値的に時間を使っていくことです。