2014年、MIT・カーネギーメロン・カリフォルニア大など、全米トップ大学の合同チームが、ある実験を行いました。
23人の学生に、個人戦と団体戦でゲームをしてもらい、脳の働きをモニターしました。
すると、個人戦では特に異常がなかったものの、団体戦では「内側前頭前野」の働きが著しく低下していました。
この部位は、人格の統合に不可欠な、いわば「人間を人間たらしめる」人間脳です。
すなわち、団体行動によって、理性や知性の働きが低下し、自己判断力のない「ロボット化」してしまうことが明らかにされたのです。
団体行動においては、全体のルールやリーダーの指示に従うことが優先されます。そこでは自己判断はかえって邪魔であり、「考えない」「指示に無条件で従う」人間ほど適応できます。
組織・団体の規模が大きくなるほど、この傾向は強まると考えられるので、いわゆる大組織になるほど、ロボット人間は多くなりがちです。
学会においても、組織が大きくなればなるほど、また活動歴が長くなるほど、内側前頭前野の働きが衰え、人材がロボット化していくことは、宿命的な帰結だったのです。
道理で学会の幹部は、みんな思考力がないわけです笑
組織の指示を受けて動いてきただけで、自己判断の経験に欠けているので、いざ判断が必要な立場になると、トンチンカンな判断しかできません。
むろん、組織否定は現実無視の夢想主義であり、組織戦は必要です。
だが、深刻な副作用があることを決して忘れてはいけません。池田先生は「組織も方便であり、完全ではない」と指導されています。
先生は数千人という世界の知性と対話されてきましたが、通訳を挟んでいるだけで、全て「個人戦」です。
回答に窮したからといって、側近に代理で答弁させるというわけにはいきません。そんなレベルでは、最初から世界の知性に相手にされないでしょう。
小説の執筆も、当然個人戦です。
リーダーには「個の力」が絶対必要であり、それは組織戦だけで培えるものではないのです。
受け身で活動に参加しているだけでは、むしろマイナスとさえ言えます。
サッカー(バスケ)に例えるなら、パスワークやアシストが組織戦であり、ドリブルやシュートが個人戦にあたります。
チームワークが必要なのは当然ですが、パスばかり上手くても、突破力・得点力に欠けていれば、そんな選手はレギュラーにできません。
個の力が必要な場面は、ゲーム中に必ず出てくるからです。
弱いチームは敵ゴール前でもパスを回してばかりで誰もシュートしませんが、まさに個の力の欠如を物語っています。
野球であれば、守備が組織戦、攻撃が個人戦と考えてもいいでしょう。
守備ではボールを投げるだけでなく、キャッチする仲間が必要です。ひとりで守れないというのは、まさに組織戦です。
一方、バッターは誰にも頼らず、1人で打ち、走らなければなりません。誰も手を貸すことは許されません。
レギュラーには攻守両方のスキルが必要です。
いくら守備がうまくても、誰も攻撃力がなければ、決して点は入らず、結局は組織としても勝てないのです。
学会では常に、幹部ほど個人折伏するよう指導していますが、それこそが最高の個人戦であり、リーダー育成だからであるに他なりません。
個人折伏では、組織の力に頼れません。役職も通用しません。地力が明確に結果として現れます。
どこにも逃げ場はなく、言い訳もできません。だからこそ成長できます。
組織戦だけでは、あなたの内側前頭前野は衰える一方です。その行く末は廃人です。
折伏しない幹部など、学会には1人としていてもらっては困ります。
活動歴が長くなるほど、ますます徹底して個人戦に挑む必要があるのです。
池田大作全集611頁より
戸田先生はよく、「組織は偉大な勇者をつくるか、さもなくば、幼稚な愚者をつくる」といわれた。
会員が純真であるために、かえってそれに甘えて、厳しい自己建設を怠る者も出てくる。
そうなれば、いかなる理想的な組織も、組織悪の温床となってしまう。