学会だけでなく、日顕宗も顕正会も足軽会も、法華衆の「組織」であることに変わりありません。
ならば、どの組織で信心しようが「和合僧」であり、功徳は同じなのではないか?
こう問われたとき、すぐに破折できる幹部は、残念ながらごく少数でしょう。
結論を述べると、学会以外の組織は「師」を誤っているために、どれほど異体同心の団結で進もうと、功徳がないのです。
信心の根本は「一人立つ師子王」の精神であり、異体同心の団結も、その応用に過ぎません。
間違っても、団結そのものが根本ではないのです。それでは全体主義が法華経ということになってしまいます。
和合僧とは、正しき師を中心に置いた同心円の団結です。
間違っても、中心者を頂点としたピラミッドではありません。
もともと、会長以下全ての役職は、当番制でいいくらいです。中心者などその程度に過ぎません。
ここを取り違えると、学会の組織で信心していても、功徳を失ってしまいます。
師匠こそ組織の命です。師匠あっての組織であり、間違ってもその逆ではないのです。
若者は迷ったり探し求めたりするべきではない。老人の忠告を役立てて、良い道をまっすぐに進んでいくべきだ。
ゲーテ