富木常忍といったら、在家における大聖人の1番弟子です。
年齢は大聖人より数歳上とされ、30代の青年時代に法華経に帰依して以来、最も信頼される弟子の1人として活躍しました。
しかし大聖人の御入滅後は、息子の日頂(六老僧の1人)が日興上人に違背したことなどもあり、異体同心の団結から外れていきます。
後には日頂も勘当し、自ら出家して独自の門流を形成します。これが中山門流です。
中山門流は本尊雑乱の末、身延に吸収されて跡形もなく消え去りました。
なお日頂は勘当後、自らの謗法を悔い改めて日興上人に帰服しています。
常忍は日興上人より30歳ほど年上で、入信も先です。
それだけに、若輩且つ後輩の日興上人には従えないという増上慢があったのではないでしょうか。
出家の1番弟子である日昭も、大聖人とほぼ同い年とされていますが、やはり若き日興上人に従うことを拒んでいます。
出家と在家のそれぞれ一番弟子が離反してしまったところに、この仏法を生涯保つことの難しさが現れています。
後輩の成長を素直に喜べず、青年から学べない者は、どれほどの大功労者であろうとも、成仏の軌道から外れてしまうのです。
一、弘通の法師に於ては下輩爲りと雖も、老僧の思ひを爲すべき事。
一、若輩爲りと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。
日興遺誡置文