「創価学会が仏の使命を果たしているのなら、学会の組織を本尊として、南無創価学会と唱えてもいいではないか」
そう考える人がいるかもしれませんが、とてつもない間違いです!
三世十方の仏は、全て南無妙法蓮華経の力で成仏しています。創価学会仏も、例外ではありません。
創価学会から南無妙法蓮華経を取ったら、何も残りません。あくまで南無妙法蓮華経が本尊であり、手段に過ぎない学会の組織が本尊となることはありえないのです。
戸田先生は「わしは創価学会の信者などではない」とまで言われています。創価学会教などという宗教はこの世に存在しません。学会員はあくまで日蓮仏法の行者です。
しかし残念ながら、熱心に活動している人ほど、「南無創価学会」になってしまっているケースが多く見られます。大組織に同化することで、自分まで偉くなった気がしているわけです。
これは動物的な集団崇拝に過ぎず、仏法でも何でもありません。
大きな組織の幹部になって鼻を高くしているのは、修羅の生命です。仏界にははるかに及ばない、下等な境涯です。
口でいくらお題目を唱えても、心が組織に南無しているので、功徳は無いのです。
まして「南無学会本部」「南無男子部」「南無創価班」「南無〇〇総県」「南無公明党」「南無創価大学」など、組織の一部分に南無し奉っているようでは、何億編題目を唱えようと、成仏などありえないでしょう。
組織について役職をもらっているだけでは、何の功徳もありません。功徳は組織ではなく御本尊からいただくものだからです。
個人崇拝でも集団崇拝でもなく、あくまで法を根本とするのが、日蓮仏法なのです。