人間革命「地涌」によると、牧口先生は戸田先生を一度も褒めたことが無かったそうです。
無慈悲にも見えるこの育成法が、戸田城聖という稀代の天才を育て上げました。
そもそも、誰かに褒められるために信心しているのではありません。
人に褒められることを目的とするのは、名聞名利です。退転者の共通点ですね。
信心の目的は「御本尊から功徳を戴く」ことであって、中心者に褒めてもらうことではありません。
会社だって、どんなに社長に褒めてもらっても、給料がもらえなかったら、意味ないですよね(笑)
サラリーマンは給料に南無しているのであって、会社とか社長に南無しているわけではありませんから。
信心は、幹部に好かれる必要などないのです。幹部から功徳をもらうわけではないし、もちろんお金ももらっていません(笑)逆に、財務で原田君ら最高幹部を養っているのは我々です。
中心者や組織に南無するのは、下等な個人崇拝、集団崇拝です。
富士門流では、本師の御影にすら南無しません。本尊には徹して厳格です。
たとえ幹部に嫌われていても、現にあなたが功徳を受けているなら、それが信心として正しい証です。青年ならば、摩擦を恐れてはいけません。
そもそも幹部に好かれても、役職を山ほど押し付けられるだけです(笑)
誰かに褒められなければ信心しない幼稚な青年など、学会には一人として必要ありません。