牧口常三郎箴言集より
放火をするのは悪である。
家が燃えだしたのを見て、知らせないのは善をしないのである。しかし、家が焼けるという結果は同じ
鉄道の線路に石を置く。これは言うまでもなく悪いことである。
しかし、石を置いてあるのを知っていて、これを取り除かない、つまり善いことをしなかったら、列車が転覆してしまう。
善いことをしないのは悪いことをしたのと同じである。
つまり価値論では、他者の悪事を知った時点でそれを止める義務が生じると考えます。
もちろん警察官など、より責任のある者が悪を知りながら放置した場合、さらに大きな悪となります。
邪宗邪師を知りながらこれを責めず、放置しておいたならば、どんなに選挙で頑張ろうと(笑)地獄へ一直線となるのは当たり前です。
このブログで神社や統一を破折するのも、師匠の価値論に従うからこそです。随力弘通の法理からして、言及しないのは与同罪となってしまうでしょう。
邪悪なカルトが日本を征服しつつあるのに、これを放置していくら題目を唱えても、仏道修行にはなりません。
確かに内部の悪と戦うことも大切です。しかし、本部や幹部を罵る会員に限って、自分自身がまともに折伏できない内弁慶ばかりです。これでは目糞鼻糞です。
学会員ではないでしょうが、鈴木エイトの方がよほど破折のお手本になります。
青年ならば、まずは幹部がひれ伏すくらいのしっかりした教学力、破折力を身に着けてください。何の実力もないのに、相手にされないのは当たり前です。
蓮祖は御本尊を建立してから折伏したのではありません。清澄寺での念仏への破折から全てが始まっています。破邪あっての顕正です。
大悪を責め滅ぼすことが大善なのです。