新・人間革命「萌芽」より
日本で、会員を政界に送り、さらに、その人たちが公明政治連盟をつくったからといって、他の国がそれにならう必要は全くありません。
日本の場合は、そうせざるを得なかった状況があるのです。
民衆の幸福のために、懸命に働く政治家の姿は見られなかった。
公明政治連盟、公明会をつくったのも、日本の政治制度の中では、そうしなければ、自分たちの主張を反映させることが難しかったからです。
それを、そのまま、他の国にあてはめるべきではありません。
立正安国の精神とは、それぞれが、慈悲や生命の尊厳など、仏法で説かれた哲理を自身の生き方の根幹として、人々が幸福に暮らせる社会の実現に、平和社会の建設に、取り組んでいくことです。
その基本は、教団として何かを行う場合もあるでしょうが、むしろ、個人個人の自発的な行動が中心となります。
「新時代」より
政治活動については、日本国内のみであり、海外ではいっさい行わないことを、ここで確認しておきます。
「暁光」より
それぞれの国にあって、政治にどう対応していくかということは、その国のメンバーが話し合って決めるべき問題です。
日本人である私が決定し、指示するようなことではないし、また、そんなことがあってはならないというのが、私の考え方です。
その上で、個人的な感想を申し上げると、ブラジルをはじめ、各国にあっては、政党結成の必要は、全くないと思っています。
選挙さえがんばっていれば成仏できると思っている学会員は多いようですが、選挙戦は日本だけの「局地戦」であり、あくまで助行です。
選挙戦が無いと成仏できないのでは、お題目にあまり力が無いことになってしまいます。これは法華経とは何の関係も無いカルト思想です。
また、打ち出しを消化するだけの受け身の信心も、たいした功徳はありません。
組織戦だけでは不十分です。
特に折伏や教学は、打ち出しがあろうとなかろうとやるのが当たり前です。折伏も最終的には1対1の対話であり、個人の力で決まります。
組織があなたを成仏させてくれるわけではないのです。成仏できるかどうかは、あくまであなた自身の信心にかかっています。