池田大作全集69 537頁より
私は一時、一流大学出の、いわゆる才知に長けた人を重要な立場に登用してきた。
全部が失敗であったとはいえないが、近年の事件にみられた裏切りの姿は、皆さまがご存知の通りである。
そういう人徳のない、策や小才の人間が幹部になれば、人々があまりにもかわいそうである。
二度と、このようなことを繰り返してはならない。
これからは、信心の組織でも、人柄の良い人格者が中心となっていくべきである。いわゆる学歴や才知だけであってはならない。
師匠も凡夫ですから、結果的に人選ミスを犯す場合もあります。われわれならなおさらです。
もちろん実際には、最高幹部の意見を聞き入れたうえで決定されているはずなので、先生の独断では無かったのでしょうが、この場ではあえて自らの失敗として語られています。
ともあれ肝心なのは、ミスに気付いた時、いかに潔くそれを認め、迅速に対処できるかです。
それが「任命責任を果たす」ということです。
人選ミスそのものを認めず、自らを正当化するならば、ますます傷口を広げてしまいます。
池田先生が、ご自身の人選ミスの原因をあえて「学歴」に特定されたことは、特筆すべきです。
それが、狂っていく幹部の最大の共通点だったということです。
「東大だから」「創大だから」などという理由で、安易に幹部を登用することは、師匠の教訓を無視することになります。
そして先生は、登用のポイントとして「人柄」を挙げられています。
もとより、人格を磨き高めるための信心です。その意味においても、幹部には模範的な人格が求められます。
あえて具体的にいえば、折伏や新聞啓蒙の目標は、自らが率先して達成し、メンバーにはのびのびと信心させるような幹部です。
あるいは、個人折伏が達成できなければ、リーダーとしての模範・責任を果たせなかったことを、皆に謝罪できるような幹部です。
そのような幹部が増えていけば、学会も少しはマシになるのではないでしょうか笑
少なくとも、自らは何十年も折伏を決めていないのに、皆にノルマを押し付けるような幹部では、どんなにご立派な学歴でも、人格者とは言えないでしょう。