聖教新聞1959/2/6によると、1950/8/23に戸田先生の事業が停止され、その時から池田大作青年は1日2万遍の題目を唱えたそうです。
時間にすると、ざっと6時間ほどでしょうか。
この時期は、移動中も仕事中も常にお題目を誦していたそうです。当然、仕事を放棄して祈っていたわけではありません。
ずっと集中した祈りではなくても、祈らないよりはるかにマシです。
60万遍(1カ月)ほどすると、すっと願いが叶ってきた、つまり事態が好転してきたといいます。
やはり人生の一大事に直面した時には、このくらい死に物狂いに祈るものです。
御本尊はわが生命そのものなのですから、仏壇に向かえなければ祈れない、などというのは言い訳であり、祈りが形式に堕している証です。
戸田先生も、獄中では独房の冷たい壁に向ってお題目を誦していました。
そもそも蓮祖が御本尊を建立される以前は、誰もがその場で誦の題目を唱えるしかなかったわけです。
もちろん車があれば車に乗ればいいのですが、たとえ車が動かなくても、自転車でも徒歩でも前に進むことは可能なのです。