弘安2年ごろ、大田乗明の一族の中に、「法華経迹門に得道はないのだから」として、方便品は読まないと主張する者が現れました。
蓮祖は「四菩薩造立抄」の中で、こうした己義を唱える者は天魔であり、無間地獄に堕ちてしまうと厳しく破折されています。
戸田先生は勤行で文上(釈迦)の法華経を読む意義について「ひとつには破折のために読むのです」と指導されていました。
勤行は必ず方便・自我偈・題目の順に行います。
これは「迹門 → 本門 → 文底」というように、同じ法華経であっても「南無妙法蓮華経」に向かって次第に深まっていくことを示していると考えられます。
したがって、時間の都合で方便自我偈を略す場合にも、胸中では必ず題目の前座に文上の法華経を読む心得を抱いていなければならないのです。