三大秘法抄には、像法時代の南岳や天台が南無妙法蓮華経を唱えていたと記されています。
ただし、題目そのものが本尊であることを明かされたのは蓮祖が初めてです。
当然、南岳天台も、題目即本尊の内証は得ていたはずです。しかし、本尊を誹謗すれば大変に罰が大きいため、弟子らにそれを説くことは避け、自行にとどめていたと考えられます。
末法においては、像法の止観行で成仏することはできず、題目のみが唯一無二の修行となります。
なおかつ、これは蓮祖がそうであったように、自行化他に渡る実践でなくてはいけません。
我らの本師は南岳天台ではなく、あくまで日蓮大聖人です。自行に留まり、化他の実践なき修行では、蓮祖の弟子とは言えないのです。