日蓮仏法に対する、最大の疑問のひとつは、
「なぜ紙に印刷した御本尊を拝んで功徳があるのか」
ということでしょう。
まず第一に確認しておきたいのですが、御本尊を御安置するだけでは、床の間に掛け軸を吊るしているのと同じで、何の功徳もありません。
あなたがお題目を挙げることで、初めて功徳が生じます。主体はあくまであなた自身なのです。
いくら素晴らしいトレーニング器具をそろえていても、実際にそれを使って体を鍛えなければ、何の意味もありませんよね?
御本尊が自動的に成仏させてくれるわけではないのです。
当然ながら、われわれ法華信徒は紙やインクを拝んでいるのではありません笑
そこに表現されている「内容」が肝心なのです。
御本尊には、あなたの生命そのものが表現されています。同時に、御本仏大聖人の生命でもあるし、一切衆生の生命でもあります。
それはもともと我々の胸中に存在するものですが、凡夫にはなかなか実感しにくいので、大聖人が御図顕して分かりやすくしてくださったのです。
それは例えば、子供時代の記憶を思い出すには、当時のアルバムを見たほうが楽に思い出せるのと同じです。
何もなくても一応は思い出せますが、やはり手がかりがあれば、はるかに鮮明かつ正確に思い出せます。
あるいは、肌の手入れをするときに、鏡を見たほうが断然やりやすいのと同じです。
見なくても手入れできないことはありませんが、やはり鏡を見たほうが確実でしょう。
御本尊は、お題目の力を最大限に引き出す「装置」ということができるのです。
人類最高の大発明ということもできるでしょう。