池田先生は、2006/1/2衛星中継において、10時間唱題会(リレー唱題会)の自粛を呼びかけられたことがありました。
唱題会が長時間であればあるほど良いというなら、10時間より24時間、24時間より72時間…というように、キリが無くなってしまいます。
こうなると実質的には「苦行」であり、非科学的な外道の修行です。
つまりは謗法であり、かえって功徳を消してしまいます。
特にリレー唱題会の場合、いったん導師に入ったらなかなか外れにくいという問題があります。
集中力が切れ、足がしびれ、のどが痛くなっても、交代メンバーが到着するまでは続けなくてはなりません。これではもはや苦行を通り越して「拷問」です。
体調の悪い人や高齢の人にとっては、1時間連続でお題目を挙げるのも大変でしょう。休憩しながら無理なく祈っていくのが道理であり、何時間も連続で唱え続ける必要などありません。
唱題は、生涯のトータルで計算すべきです。
長生きすれば、1日でも多くお題目を唱えられますから、絶対に無理をせず、体を大事にし、毎日少しずつでも積み重ねていくことが肝心なのです。
こうした考え方は活動全般に当てはまります。
特に男子部は、連日深夜まで会合をやりたがりますが、それが積み重なれば睡眠時間も減り、翌日の仕事にも差し支えます。まさに苦行です。
苦行は功徳を消し、寿命を縮めてしまいます。
特に今は学会員の多くが高齢者であり、無理はますますできなくなっています。
「苦行追放」こそ、学会が21世紀に生き残るための条件なのです。
池田大作全集100 19頁より
題目をあげることも大事。弘教をすることも大事。
しかし、無理に押し付けたりして、皆が苦しむようなことがあってはいけない。
唱題も大勢で長時間やればいいというものでもない。
「一編の題目」にも「無量の福徳」が納まっているのである。
その点、リーダーは、最大に配慮していってもらいたい。
池田大作全集83 228頁より
勤行でくたびれ果てたり(爆笑)無理な実践をして、調子を崩したのでは、何のための勤行かわからない。(爆笑)
大白蓮華2019/11 45頁より
いうまでもなく、祈りの深さは、題目の数や時間で決まるものではありません。
環境が変わり、朗々と唱題行ができなくなる場合もあるでしょう。
その時は、心の中で題目を念じ唱えることです。
戸田先生は、そうした題目にも大功徳があると教えられていました。
大切なのは題目を唱えようという「心」であり、真剣な「志」です。
その心が強くあれば、福運は必ずついていきます。
※平成10年6月2日寝屋川文化会館河合師範の指導 より
10時間唱題会なんてやらないほうがいい。あれは拷問の一種だから。
個人がやるのは何時間やっても良い。自分が決意して祈るのは良いが、みんなを縛っちゃいけない。これは先生の指導。
リレー唱題会も割り当てでやっていますが、あの功徳はどこへ行くんでしょうか?