顕正会は、国立戒壇建立に「天皇の勅宣」が必要であると主張しています。
(御書に「国立戒壇」なる言葉はありません)
しかし当然ながら、今の天皇は象徴に過ぎず、いかなる勅宣を下す権利も持っていません。
今の憲法下では、国立戒壇は永遠に建立できないのです。
したがって浅井センセイの言うとおりに国立戒壇を実現するのであれば、まず天皇の権力を回復させねばなりません。
これは憲法を変え、日本の体制を民主制から君主制に逆行させることを意味しています。
事実、管理人がかつて顕正会員に直接問いただしたところ、天皇の復権が必要であることを認めました。
それを否定してしまうと、浅井のロジックそのものが崩壊してしまうため、彼らも認めざるを得ないのです。
顕正会は、憲法改悪を目論む右翼団体だったのです。
三大秘宝抄の御指南は、あくまで鎌倉時代の体制に即して説かれた「世界悉壇」であり、時代が変われば解釈を更新すべきなのは当然です。
浅井自身も、幕府による御教書を「国会の議決」と読み替えています。
であるなら、勅宣という制度そのものが存在しない今日において、天皇にこだわる理由などないでしょう。
浅井は、仏法の基本である四悉壇すらわきまえていない、ただのド素人です失笑
付け加えるならば、蓮祖は生涯において、一度も天皇を折伏されていません。
当時は幕府が実権を握っており、実権のない天皇が法華経に帰依しても、国主が帰依したとはいえず、立正安国の実現にそれほど意味を持ちません。
蓮祖は、天皇を国主として認めていなかったのです。