諸法実相抄より釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座(おわし)候へ百六箇抄より久遠の本師は妙法なり、本有実成の釈迦・多宝は迹なり
御書にはしばしば「久遠実成の教主釈尊」が本尊であるとする表現が出てきます。
身延はこれを以て釈迦牟尼仏を本尊としますが、これは上記の文証からも明らかに誤りです。
教主釈尊は、本仏の仮の呼び名に過ぎません。
御本尊正中にハッキリ書かれている「南無妙法蓮華経 日蓮」こそ、教主釈尊の本名です。
正確には「南無妙法蓮華経」が三世永遠の本名であり、「日蓮」が地球名となります。
第一、釈迦牟尼が本仏であるなら、わざわざ題目の脇に別に記す理由がありません。
南無妙法蓮華経を直接説かなかった釈迦牟尼が、末法の本仏などという道理があるはずもありません。
釈迦本仏論は結局のところ、弾圧を恐れた五老僧の、臆病の生命の残骸でしかないのです。