本因妙抄には、4種類の因果応報が説かれています。(御書871頁)
方便権教は「因果異性の宗」
法華迹門は「因果同性の宗」
本門は「因果並常の宗」
文底は「因果一念の宗」とされます。
ここで特に重要なのは、方便の
「因果異性」と文底「因果一念」の違いです。
法華経以前の教えにおいては、バラモン教と同様、九界に積み重なった罪業を滅することによって成仏できるという考えです。
不幸な人は、過去世で悪いことをしてきたのだから自業自得だ、という考え方です。
苦しまなければいつまでも罪業が消えないので、不幸な人は助けてはいけない、むしろどんどん差別や格差を拡大しろという結論になります笑
因果異性の考えはあくまで方便なので、それを真に受けて実践すれば大変な不幸を招いてしまいます。
それに対して法華経文底では、十界の生命はすべて一念に含まれており、積み重なった罪業に関係なく、仏界を湧現することによってすぐに即身成仏できるとしています。
つまり、方便においては「過去ですべて決まる」としていたのが、文底においては「今ですべて決まる」に大転換したのです。
これはある意味で、因果応報からの「卒業」であり、まさに宗教上の一大革命です。
ただし、今ですべて決まるというのは、過去の福運が通用しないという意味ですから、別の意味での厳しさがあります。
過去にどれほど純真に信心していても、退転してしまえば、福運は一瞬で尽きてしまうことになります。
どれほどの功労者であっても、日々新たに発心を重ねていく必要があるのです。