池田会長講演集第1巻より
平家の敗因をより根本的にいうならば、亡国の宗教である真言宗と結びついたということであります。
それに対し、源氏は、曲がりなりにも時の正法たる法華経を保っていたがゆえに、勝利を収めたという事実を見逃すことができない。
源平合戦において、平清盛は叡山に近江の国24群を全て寄進しました。
叡山は平家勝利のために真言の秘法を尽くし、僧兵たちも出動させましたが、座主の明雲は源氏に頸を斬られ、平家も滅亡しました。
承久の乱では、京方は日本一という僧侶を41人も集め、真言の祈祷を行いました。
紫宸殿でも7日間の祈祷が行われましたが、7日目に戦は敗れました。
元寇においても蒙古撃退の祈祷を行いましたが、武士たちに満足な恩賞を与えることができず、不満が高まって鎌倉幕府はまもなく崩壊しました。
このように真言密教の祈りはかえって国を亡ぼすのです。