流罪を解かれた大聖人が鎌倉に帰還するのも、また命懸けでした。
念仏者たちが旅の途中で大聖人を亡き者にしようとしていたからです。
大聖人が出立したとの報を聞くと、生かして佐渡から出すわけにはいかんと、僧俗50人もの念仏者が太刀や鎌を手に集合し、仙十という名主を先頭に追いかけてきました。
このときは、間一髪先に船が出て難を逃れています。
本州に渡ってからも、善光寺に数百もの念仏者が集まり、大聖人を待ち構えていました。
大聖人は千曲川の東側(善光寺の反対側)を迂回しています。
今では考えられないほどの凄まじい迫害の中で、大聖人は威風堂々と国家諫暁を貫かれたのです。