天台宗では、法華経によって開会された以上、諸経も法華経と対等であり、否定する必要はないと主張しています(絶待妙)。
その一方で、第3代座主の慈覚は、大日経を第一、法華経を第二とし、大日経は法華経に勝るとしています(理同事勝)。
これらはもちろん共に邪義ですが、一方では諸経を対等と説き、一方では大日経を最高としており、そもそも邪義同士が矛盾しています。
つまり天台宗は、慈覚以来教義が混乱したまま、今日に至っているわけです。
どれほど下等な宗教であっても、一応は教義体系が完成されているものです。しかし天台宗は、そもそも教義の矛盾をほったらかし、作りかけのままです。
一宗を立てる資格もないのです。