真言宗では、印や真言が説かれていないので法華経は大日経に劣るとしていますが、まず法華経でも陀羅尼品に真言が記されており、事実関係すら歪曲しています。
本題ですが、そもそも印真言で法の優劣が決まるなどという経文はどこにも存在せず、真言宗が勝手に言っているだけです。
蓮祖は「法華真言勝劣事」において、もともと法華経にも印真言が説かれていたが、経典結集や漢訳時に省略されたのだろうと記されています。
真言というか呪文は古今東西あらゆる外道に伝わっており、坐禅と同様、釈尊が元祖というわけではありません。
釈尊が印真言を説いていたとしたら、それは現代でいう「脳トレ」のためでしょう。
脳に最も大きな刺激を与えるのは、「口」と「指」を使う時とされています。口や指を複雑に使う印真言には、脳を活性化させる効果があると考えられます。それ以上でもそれ以下でもありません。
脳トレであれ筋トレであれ、それが成仏の唯一の修行などと解釈するのは馬鹿げています。
あえて陀羅尼品に真言が残されたのは、「真言の功徳は全て法華経に全て含まれる」ことを示すためと考えられます。
まして、南無妙法蓮華経が明かされた末法において、真言を唱える意味などありません。
法華経そのものを誹謗する真言宗で、間違っても成仏などできないのです。