ジャイナ教の信者であるウパーリが、釈尊を論破しようと訪ねてきましたが、対話するうちに釈尊の人格と智慧にすっかり感激し、釈尊に帰依したいと申し出たことがありました。
しかし釈尊は「簡単に今までの信仰を捨てるものではない。もっと熟慮してはどうか」そう諭したといいます。
これは摂受の一種だとも言えますし、ウパーリの本気を試したとも考えられます。
日蓮大聖人も、信心が定まらない人を入信させることはありませんでしたし、御本尊は特に強情な信徒だけに授与されました。
今では学会も、新入会の要件が厳しくなっていますが、本来は「入りたくてもなかなか入れない」というくらいでちょうどいいのです。
むやみに頭数を増やしても、かえって質が低下し、組織が破壊されてしまいます。
たった1人でいいから、本物の青年を育てることが、真の折伏なのです。